No.10:古伊賀出土跡(上野公園内配水池)(こいがしゅつどあと)
昭和10年(1935)、上野公園内の配水池工事現場(筒井城跡)から古伊賀の破片や、やや焼成不足の水指等が偶然出土しました。そしてそれらは百五銀行第6代頭取にして数寄者でもあった川喜田半泥子氏の所有する所となってしまうのでした。
川喜田氏は「古伊賀発見」の知らせを聞くと、当時親交のあった陶芸家加藤唐九郎氏に確認と入手を依頼し現地伊賀へ向かわせ、詳しい報告を受けると、全てを買い取り、それらを伊賀から津へ移してしまいました。しかしその後、両氏と交流のあった政治家川崎克氏が、郷土からの古伊賀流出に対し大変残念がった事を知ると、その中の水指1点を完成間もない上野城(白鳳城)へ寄贈されました。それは今も天守閣一階に展示されています。
出土品に関しては諸説あるなか、窯跡は確認されていないものの、窯道具や窯壁片が有り、古田織部と交流もあった筒井定次が天正13年(1585)に伊賀に入封してからの筒井時代に城内で焼かれたものとされています。
このように出土跡の存在は伊賀焼の歴史を語る上において大きな位置を占めており、新たに窯跡の発見も待たれるところです。
参考書籍 「陶磁大系」第8巻 満岡 忠成著(平凡社)
「日本の陶磁」第2巻 林屋 晴三著(中央公論)
「古伊賀名品図録」桂 又三郎著(美術光芸社)
「伊賀焼」谷本 光生著(主婦の友社)
協 力 伊賀文化産業協会