No.8:伊予之丸古墳(旧桃青中学校跡)(いよのまるこふん)
平成21年3月桃青中学校は惜しまれながら、61年の歴史をその地に刻み幕を下
ろしました。当敷地は元々伊予之丸と言われ、藤堂高虎城郭大改修の際、池田
伊予守忠知が地検して作りました。
伊予之丸古墳は北校舎の北西にありましたが、明治41年現JR伊賀上野駅に通じ
る切り通し工事や、また昭和10年には再建なった上野城の記念博覧会での会場
造り、さらに昭和30年市営グラウンド建設等の度に削り取られたり、崩壊等で
古墳の大部分は壊されていました。
しかしこの間、昭和13年(1938)に四禽鏡(しきんきょう)・直刀・剣等が出
土、戦時中には盾形埴輪(たてがたはにわ)が、また昭和24・25年には上野高
校歴史同好会によって円筒列が確認されました。その後も昭和35・36年桃青中
学校考古学グループが、円筒埴輪・朝顔形埴輪・蓋(きぬがさ)形埴輪等を発
掘しました。
調査では5世紀頃の古墳とされ、出土品の一部は向かいの上野歴史民俗資料館
(平成29年2月末閉館)で展示されています。かっての学び舎は、古代ロマン溢
れる上野西部地区唯一の場所でした。
参考資料 :古代学研究 33号 (古代学研究会)
協 力 :伊賀市教育委員会 上野歴史民俗資料館
監 修 :上野西部地区住民自治協議会 教育・文化・芸術部会