上野せいぶ(上野西部地区住民自治協議会が発信する伊賀上野城下町の歴史と伝統、暮らしの情報)

探訪シリーズ

No.7:菅原神社(上野天神宮)(すがはらじんじゃ)

拝殿

秋の例大祭(上野天神祭)を控え、「天神さん」で親しまれている菅原神社では、装いも新たに10月25日を待つばかりとなりました。
神社について様々な説や不明な点もありますが、過去の地誌類によれば、かって上野城内にあった「平楽寺」の守護神として、九社権現と共に城内に祀られていました。平楽寺は後白河法皇の勅願で平清盛が建立したと言われ、真言宗の立派な学僧も多く、同時期にあった「薬師寺」と合わせた寺域は、東西2町半(約270m)あり、まさに学山たる観であったようです。
しかし天正9年(1581)「天正伊賀の乱」にて社寺共に焼失。2年後神社は上野村「山の神」の地(現図書館あたりか)に遷され、藤堂高虎入府後の慶長16年(1611)には築城に伴い外堀南の現神域に移されました。
寛永4年(1627)高虎は銅鐘を寄進し鐘楼(しょうろう)を建立、三代高久が松木100本を寄進して宝永元年(1704)に大造営された楼門と共に、現在では三重県指定有形文化財になっています。(今の鐘は天明7年(1787)鋳直された)
また松尾芭蕉が、寛文12年(1672)処女作「貝おほひ」を神社にたむけて江戸へ向かい、俳諧への立志決意を示したのは有名です。
これからも私達を暖かく見守ってくれる天神さん。菅原道真公を祭神に上野の産土紙(うぶすながみ)・氏神であり、人々の心の拠り所として多くの信仰と崇敬を集めています。
出典・参考資料 :上野天神祭総合調査書 :伊賀の歴史 :毎日新聞
協力      :菅原神社
監修      :上野西部地区住民自治協議会 教育・文化・芸術部会