No.4:蛇池または蛇谷堀(じゃいけ・じゃたにぼり)
伊賀市上野丸之内に薬師の放生池(ほうしょういけ)とよぶ大きな沼地があった。
近世のはじめ、伊勢・伊賀二十二万石余の領主となった藤堂和泉守高虎が城郭普請をするとき、この沼を利用して東の内掘をつくることになり工事にとりかかったところ、眼はほおずきの如く赤く輝き、長さ二丈におよぶ大蛇があらわれた。
里人たちの間で「山酸醤(やまさんしょう)」とよばれ、この蛇を見たものは魅入られて生命を失うと言われていたので、夫役達が集まって殺してしまった。
それよりこの沼を蛇谷とよんだ。伊賀上野崇廣堂の講官服部竹﨩(ちくう)はこの近くに住んでいたので「蛇谷迂史(じゃたにうし)」と号したのは有名である。
引用:蛇谷堀(蛇池)の由来
協力:上野東丸之内自治会
監修:上野西部地区住民自治協議会 教育・文化・芸術部会