上野せいぶ(上野西部地区住民自治協議会が発信する伊賀上野城下町の歴史と伝統、暮らしの情報)

探訪シリーズ

No.11:豊太閤 桃山御門(ももやまごもん)

桃山御門全景

(御殿の門・御成門・黒門)

 この門は古く、豊太閤(豊臣秀吉)が建立した伏見桃山城に在った門で徳川家康が藤堂高虎に贈り、高虎が伊賀上野に移し御殿(現上野高校グランド)の中にありました。

 その後、明治11年 藩士 矢守勝登氏(矢守氏は旧藩時代300石取り)が買い受け、原図と記録を残し丸之内の自宅の門としました。昭和17年頃まで矢守勝登氏の子孫が居住していました。その後龍瀬政一氏邸となり現在は上野公園忍者屋敷の忍術資料館の入口門に移設されています。

 この門は御殿の「御成門」といい、平素は開かず通行を禁止していましたが、ただ一度だけ近衛応山公(名は信尋、御陽成天皇の第四子、のちに近衛信尹の養子となる)が伊賀を訪れた際にこの門から入ったので「近衛門」とも呼ばれました。

 造りは、総欅造りで柱の長さ350cm・幅45cm・厚さ28cm・扉の幅250cmで中央には直径33cmの五三の桐紋が浮き彫りにされていましたが、藤堂の蔦紋に代わっています。

 昭和30年に、当時藤堂の重臣だった藤堂豊前の子孫 佐々木広宣氏が原図と記録を所蔵しており、それを郷土史研究家である菊山当年男氏に届けられ、後に上野図書館に寄贈されました。

出典・参考資料 :昭和30.8.28 中日新聞 朝日新聞
         昭和35.3.17 伊賀歴史散歩(山本茂貴筆)
協力      :伊賀市上野図書館 公益法人伊賀文化産業協会 上野丸之内自治会
監修      :上野西部地区住民自治協議会 教育・文化・芸術部会