上野せいぶ(上野西部地区住民自治協議会が発信する伊賀上野城下町の歴史と伝統、暮らしの情報)

探訪シリーズ

No.7:西の御旅所と安部神社(にしのおたび・あべじんじゃ)

安部神社

上野天神宮の西御旅所である金峯神社(きんぷじんじゃ)は、元西之丸の仁木館の鎮守神として蔵王権現(ざおうごんげん)と呼ばれていました。修験者などの信仰する仏が神の姿として現れるのが権現であり、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王堂(ざおうどう)が有名で、修験道の道場になっています。筒井定次が伊賀入封に当たり、蔵王権現を現在地に還したと言われています。

明治の廃仏毀釈により金峯山寺の別当西光院幸福寺が廃寺になり、蔵王権現は金峯神社と改められ、明治43年(1910)上野天神宮に合祀となりました。

金峯神社の旧社地に隣接して安部神社(あべじんじゃ)があります。阿拝神社(あへじんじゃ)とも書かれ、「阿拝一群の鎮守、祭礼10月13日上野小田町西之出口に有之」と記されています。宝永7年(1710)に社殿が大破し且つ、同地は低湿地のため、正徳元年(1711)10月に蔵王権現である幸福寺の地続きに移祀され今日に至っています。

大正9年(1920)に上野天神宮の飛地境内社として上野天神宮に合祀され、金峯神社の跡地が西(にし)の御旅所(おたび)となって、毎年春・秋の大祭の時には祭典が執り行われ、親しまれています。

協力:上野幸坂町
引用資料:上野天神祭総合調査報告書
監修:上野西部地区住民自治協議会 教育・文化・芸術部会