No.13:菊岡如幻翁旧宅跡(上野福居町)(きくおかじょげんおうきゅうたくあと)
二之町筋と西之竪町通りの交差点北西角に「菊岡如幻翁旧宅跡」と刻まれた石碑が建っています。中部電力株式会社社員寮があるその地には、江戸時代から明治始めまで質屋・両替商「久米屋」がありました。先祖は久米村に移り住んだ菊岡丹波行任(ゆきとう)で、3代目が藤堂高虎入府に従い当地に移り、4代目市左衛門行宣(1625~1703年)が「如幻」と号しました。
如幻は家業の傍ら著述に専念し、「茅栗(しばくり)草子」「伊乱記」「伊水温故(いすいうんご)」等、郷土の逸話をもとにした文学作品や地誌・歴史書を数多く著しました(12作品が現存)。中でも如幻学の真髄「世諺(せげん)一統」は150巻300冊に及ぶ壮大な百科事典で、これらの活動が伊賀における郷土史研究の先駆けとなりました。
また京都の俳人であり古典学者の「北村季吟」と交流があり、若き日の俳聖芭蕉を季吟に導いたとも言われています。偉業と合わせこの事は豪商という立場と伊賀という地理的特質から、周辺地域や町人の枠を超えて諸階層の文化的媒介者としての役割も果たしたと言えます。
江戸時代から今日まで多くの郷土史家や学者が如幻の研究を行っていますが、膨大な作品に比べ自身の史料が少なく今後もその課題は続くと思われます。地元に根を下ろし郷土をこよなく愛した如幻は九品寺(くほんじ)(守田町)に眠っています。
参考資料 三重県史研究第23号(三重県):岡森福彦著 菊岡如幻伝とその諸問題
図説伊賀の歴史(郷土出版社)
取材協力 伊賀市上野図書館