No.1:西の御旅所と安部神社(にしのおたび・あべじんじゃ)
上野幸坂町にある上野天神宮の西御旅所には、「金峯神社(きんぷじんじゃ)(旧蔵王宮)跡」と刻まれた石碑が建っています。
この金峯神社は元西之丸の仁木氏館の鎮守神として、蔵王権現(ざおうごんげん)と呼ばれていました。蔵王権現は伝説上、役行者が大峰山で祈り出したとされている山伏の神であり、吉野の金峯山寺(きんぷせんじ)の蔵王堂(ざおうどう)が有名で、修験道の根本道場になっています。筒井定次の伊賀入部に当たり、西之丸から現在の石碑場所へ遷したと云われています。明治の神仏分離により別当である幸福寺が廃寺になり、蔵王権現は金峯神社と改められ、さらに明治43年(1910)上野天神宮に合祀されました。
金峯神社の旧社地に隣接して安部神社(あべじんじゃ)があります。古代の豪族安部氏が祀った神社で、古くは貞観6年(864)の記述物が残されていて、室町時代には西之丸にありましが、これも筒井氏築城の際今の鍵屋の辻西方へ移され、その後江戸時代中頃に現在地に祀られました。また大正9年(1920)には上野天満宮の飛地境内社として現在地のまま上野天神宮に合祀され、現在に至っています。
金峯神社跡地が西(にし)の御旅所(おたび)となって時期は不明ですが、毎年秋の大祭時には「御昼祭」が執り行われ、この一帯は神輿行列の休憩所として大いに賑わい、「西のおたび」の愛称で親しまれています。
協力:上野幸坂町
引用資料:上野天神祭総合調査報告書
監修:上野西部地区住民自治協議会 教育・文化・芸術部会